大学生~社会人時代
大学は早稲田大学に進学。新入生歓迎、サークル勧誘のにぎやかさ、一人暮らしの楽しさ、すべてが新鮮でした。中野区の風呂なしアパートに住み、銭湯に通いました。静岡県西部の出身者で構成される遠州人会に所属。早稲田の校歌、応援歌の紺碧の空を覚えて、大学野球を見に行きました。早慶戦、盛り上がりました。
政治経済考究会にも所属。国際政治研究コースに所属しました。2つ上の先輩に国分功一郎さんが、二つ下の後輩に白井聡さんがいらっしゃいました。論客ぞろいで、政治思想のコースの人たちに、よく議論を吹っ掛けられていました。
近くにレッドピーマンという洋食屋があって、友達と夕ご飯を食べによくいきました。カニクリームコロッケがおいしかったですね。最近閉店したエルムさんにもよくいきました。早稲田弁当の唐揚げ…思い出の味です。
ワセクラ、マイルストーン、早稲田乞食…ミニコミ誌は面白かったですね。キャンパスの中を、現静岡県知事の川勝平太教授も歩いていました。人間の縁はどこでどうなるかわかりません…。
早大政友会にも所属…。入ったときは正規部員は一人でした。ここで中島政希さん(のち衆議院議員)と出会い、「さきがけ」の参院選、1996年結党の民主党から出馬した中島政希さんの選挙のお手伝いに泊まり込みで行きました。初めての選挙のお手伝い…、一枚のビラを渡すことに一生懸命でした。とても良い経験になりました。
同級生の池田麻里さん(現在、大宮市議会議員)の縁で枝野幸男衆議院議員をサークルの10人ほどの勉強会にお招きしました。よく、あの汚い部室に国会議員が来てくれたなと感激しました。わずか10人ほどの学生の勉強会でも熱心に、まじめに話す枝野議員の姿勢に共感を覚え、時々、大宮駅前の街頭演説のチラシ配りや、大宮市民会館会議室で行われていた枝野議員のオープンミーティングに伺いました。時々、枝野議員からなんとなくいじられたことを覚えています。これをご縁に、早大政友会では、春の新歓の時期に枝野幸男議員をゲストにミニフォーラムを開催することが恒例となり、毎年、お越しいただきました。
1996年の旧民主党結党時に学生の集まりに参加。旧民主党は学生部を作らない方針でしたが、枝野議員に学生部、あるいは学生の窓口になる部局を作ってほしいと企画書を作って持っていきました。近藤昭一議員が青年局長となり、私たちも月に1回「議員と語る会」を開催する活動を行いました。COP3京都会議の際には、民主党の街宣車に乗せてもらって京都まで行き、京都の学生グループの代表だった泉健太さん(現衆議院議員)たちとパレードしたり、意見交換しました。福山哲郎さんが熱く語っていたことも印象に残っています。
故郷の磐田市でも鈴木望さんの磐田市長選挙のお手伝いをしました。この時に、渡部修磐田市長や、八木啓仁元市議、田之上康成元市議、高橋広治元市議、玉田文江元市議とも出会いました。渡部市議(当時)の応援演説に感激したことが印象に残っています。また、鈴木泰さんの衆議院選挙も帰省した際にはお手伝いに伺いました。野党の党勢が弱く、与党の党勢がきわめて強かった時でも、旗を掲げ続けてくださった先人たちがいらしたおかげで、今の中東遠地域の野党が存続し、今の自分があるとおもっています。
ゼミは、静岡県立大学にも在籍したこともある山本武彦教授に師事。安全保障論のほか、経済制裁論、とりわけココム等の経済統制体制、国際レジーム論を学びました。ゼミの仲間は生涯の友です。落選したときにも温かい言葉をかけていただき、また、いろいろな相談に乗っていただきました。ゼミの合宿で長野県追分に行ったこと、伊豆のバームホール若竹にいったこと、先生も交えての楽しい飲み会、どれも楽しい思い出です。
山本先生には大学院でもご指導いただきました。大学院に進学したのはゼミから3名、学外から1名。大学院の1年目はひたすら勉強しました。睡眠時間は2~3時間で、毎日図書館や家、ファミレスで、勉強・研究をしていました。田中孝彦先生、坪井善明先生…厳しくもあたたかいご指導、ありがとうございました。
修士論文は「対米自主内閣の中国政策-岸内閣期(1957年2月~1958年5月)を中心として-」の題名で、鳩山一郎、石橋湛山、岸信介内閣期の日本の対中政策をテーマとしました。外交史料館の資料が新規公開となり、毎日、飯倉の外交史料館に通い、マイクロフィルムを見ていました。修士論文は2011年に若干の加筆・修正を行い「脱占領時代の対中政策-戦後の日本は中国とどう向き合ったのか-」という題名で出版させていただきました。
農林中央金庫に就職。内定者の多くは経済学部や経営学部。私などは専門外もいいところでしたが、私も働かせてくれました。
農林中央金庫の受入研修では、当時の石原副理事長が「農協の組合員さんがいて、農協さんがあって、その大事な貯金を運用させていただいている。その利益で私たちは給料をもらっているんだ。君たちの預かっているお金は誰のお金か、何のために仕事をしているのか、そのことを忘れてはならない。」とお話になられたこと、今でも忘れておりません。
山口支店に赴任。最初の9か月は事務課に配属され、貯金、内国為替、貸付計算業務を少しずつ担当しました。15時すれすれで為替モニターが入ってきてあたふたしたこと、16時30分の信農連の担当部署との為替決済の電話なども担当した時期がありました。また、債券償還に行って、緊張して札勘したこともありました。創立記念祭のビンゴゲームの商品探しや、支店旅行の出し物やプレゼント選びなど、当時はいろいろ心配しましたが、今となっては楽しい思い出です。鞆の浦に行った支店旅行の出し物で、おもちゃのピコピコハンマーで支店長を叩け、と言われて…かなり弱ーく「ピコッ」としたことを覚えています。また、萩往還40キロを支店長、次長とともに踏破しました。萩駅に着いた時には感動して万歳しました。
赴任して最初の夏に「農協研修」と呼ばれる研修があり、山口県内のあるJAさんに2週間ほど住み込みで伺いました。ある支所にて貯金の窓口に座り、また、共済の推進に随行し、ガソリンスタンドでガソリンを入れる業務も行いました。ちょうど「きらら博」が行われておりました。当時の支所長さんから協同組合理念、協同組合とは何かを熱くご指導いただきました。
山口県内の史跡を訪ねることも休みの日の楽しみでした。岸信介記念館を訪ねたり、瑠璃光寺五重塔、赤間神宮、松下村塾など、観光地の真ん中に住んでいるみたいで、休日が楽しみでした。変わったところでは、磐田市出身の英雄で大内義弘とともに征西府を攻めた今川了俊の史跡もめぐりました。防府国分寺に大きな了俊公の石碑が立っています。実は磐田市と山口市、防府市は大内と今川(今川氏の静岡県内での発祥は静岡市ではなく磐田市)の縁があるのです。史跡探訪のほかは、湯田温泉や川棚温泉、菊川温泉に行きました。
二年目からは法人営業貸出と系統貸出を兼務いたしました。政治学科出身の私には、全く初めてのことばかりでしたが、決算分析を行ったり、稟議を書いたりする中で、財務諸表も読めるようになりました。リーマンショックの前で、債権の流動化・ストラクチャードファイナンスも行いました。それ以上にメインバンク担当者としてお客様の経営改善に努めたこと、やりがいを持って仕事を行いました。「融資は愛だ!」と言った支店長もいらっしゃいましたし、「お客様ととともに成長するという姿勢は忘れるな」「痛みを共有する姿勢を持て」とご指導いただいた支店長もいらっしゃいました。銀行員とはかくも情熱的な仕事であるのか、と思いました。森林関係業務では「森林組合改革プラン」策定に携わり、当時の本店の森林部長の方針に共感し、本店の先輩のスタッフとともに、取り組んだこと、今でもよい思い出です。
三年目には、和歌山事務所に移動。水産貸出、漁協系統信用事業推進業務に携わりました。マグロ漁業関連業務は先輩方に比べれば穏やかでしたが、つらい局面に至ることもありました。貯金推進等々では、ずいぶんと担当させていただいた皆様にお世話になりました。「うるさい奴だな」と嫌われたことと思いますが、業務上のことですので、ご容赦ください。田辺市闘鶏神社にて行ったJFマリンバンクの大貯金推進キャンペーン、暑い夏のさなかに行いましたが、今でもよい思い出です。
和歌山では、熊野三山や高野山、白浜温泉など自然が豊かでした。熊野や白浜からの帰り道、国道42号線を走りながら、遠くに漁火が見えたり、漁の準備をしている漁師さんたちの姿を見ることがありました。港の近くを通ると、この浜を守るために頑張らなければ、使命感が湧き上がってきたことを覚えています。
農林中央金庫では様々な研修も受講させていただきました。中小企業診断研修では某企業に2週間泊まり込みで入りました。私はマーケティング部門だったのですが、その時のマーケティングの先生とは、今でも時々、交流しておりますが、本当に良い思い出です。
2007年、中島政希さんから民主党の公募に応募することを勧められ、応募。合格し、2007年の榛葉賀津也参議院議員の選挙事務所に入りました。逆転の夏、感動的な大勝利でした。参院選のあと、事務所を探し、知己を訪ねることから始めました。中選挙区時代の野党の衆議院議員はいらっしゃいましたが、小選挙区移行後、静岡3区では野党の衆議院議員はおりませんでした。榛葉参議院議員にも多大なご支援とご指導をいただきつつ、2009年の総選挙を迎え、初当選することができました。
2012年の選挙では、野党分裂選挙となり、落選いたしました。2014年の選挙では復帰することができましたが、この2年間、変わらずに私や民主党を応援してくださった方々もいらっしゃいました。この皆様のことは一生忘れられません。苦しく厳しい環境は人間や組織を鍛えます。これからもブレずに、信念を貫いていきたいと思います。