「好きです遠州」2023年10月号
「磐田第一中学校 校歌の物語」

「磐田第一中学校の校歌と校訓は理想が高い」と教員の間でよく言われると聞いたことがあります。地方自治研究者の池上洋通さんは、講演などで訪れる地の学校の校歌を調べることを趣味にしていらっしゃっています。磐田に来訪の際には、磐田市内の学校の校歌を調べ、講演後の懇親会で「磐田第一中学校の校歌は素晴らしい内容ですね」と仰っていました。その磐田第一中学校の校歌の歌詞は次のとおりです。

 

あかねに染むる東雲(しののめ)の 光あふるる丘の上 高くそびゆる学び舎に

       純潔(きよき)をかかげ 永久(とこしえ)の 平和を誇れ 友よいざ

 

黒潮近く生い立ちし 血潮に燃ゆる若人の 心雄々しくうるわしく

               理想めざして睦み合い 真理を啓け 友よいざ

 

流れも清き天竜の 無言(しじま)のさとし身につけて 不断にはげみたゆみなく

             個性ゆたかに 人類(もろびと)の文化を創れ 友よいざ

 

磐田第一中学校の校歌には、「平和を誇れ、真理を啓け、文化を創れ」との校訓が歌詞に盛り込まれています。なんと高い理想が盛り込まれた校歌と校訓でしょうか。磐田第一中学校の校歌について「奇跡の校歌」と評した染葉隆夫さんによれば、昭和23年に、校舎も建っていないにもかかわらず、全国に先駆けて制作されたとのこと。磐田第一中学校は公立中学校ではあるものの、この校歌と校訓は「建学の精神」と言ってもよいかもしれません。作詞者は初代校長の根鈴浦蔵先生、作曲者は多くの曲を残された中島静先生です。「平和を誇れ」との歌詞には、この校歌がつくられた終戦間もない頃の日本人の思いが凝縮されていると感じます。また、昭和21年に公布された日本国憲法を意識して書かれたものと推測します。平和を「誇る」ためには、平和を喜ぶだけでなく、平和を維持し続ける智恵と不断の努力が必要で、高い理想を求めた校歌・校訓であると感じます。この世の「真理」を啓くことは、生涯の身を捧げても困難でしょうし、理系・文系問わず、それぞれの分野の「真理」を啓くことも至難のことでしょう。しかし、軽佻浮薄なものに流され、毀誉褒貶や栄枯盛衰に惑わされず、「真理」を啓こうとする姿勢を持つことに意義があると思います。なお、先述の染葉さんは「『理想目指して睦みあい、真理を啓け、友よいざ』とは憲法の国民主権による議会政治を表現している」と解釈されています。三番の「人類の文化を創れ」とは、大芸術家や世界的文化人でなくとも、繁栄や立身出世などの現世的なカタチある「成功」ではなくとも、芸術、文芸、研究において一隅を照らすように足跡を残すことであり、また、一人の個人が自らの役割を全うして生き様を残すということではないかと思います。染葉さんは「差別されることのない基本的人権を表現している」と述べていらっしゃいます。また歌詞の中で「友よいざ」と語りかけているところは、皆とともに生きようという姿勢を感じさせ、自分さえよければいいという姿勢を持たないことを象徴しているようにも感じます。私も磐田第一中学校の出身で、在学中は校歌を歌い、校訓を唱えていましたが、中学生にはあまりにも高い目標であり、理想であると感じ、現在に至っても、この理想を達成できていません。しかし、せめてこの理想に向かって歩み続ける姿勢は持っていたいと考えています。

作詞者の根鈴浦蔵先生と作曲者の中島静先生は、戦前、見付高女(現静岡県立磐田北高等学校)の教員でした。お二人は、豊川海軍工廠に勤労動員され114名の生徒に、豊川まで赴いて、度々、励ますとともに、彼女達を磐田に帰らせるべく廠長に談判し、「学校工場」を作ることを条件に帰還を実現させました。そのため、昭和20年8月7日の豊川海軍工廠への大空襲でも、見付高女は一人の犠牲者も出さなかったとのエピソードも伝わっています。

小山展弘