NEOぱんぷきん 2020年6月号 好きです「遠州」!「起死回生」「一発逆転」の奇跡のストーリーを持つ街、磐田
十年ほど前から、浜松市は「出世の街浜松」として町のプロモーションを行っています。徳川家康公が浜松城を築き、苦難を乗り越えて天下人となったこと、豊臣秀吉公も頭陀寺城の松下之綱公の屋敷に奉公し、また曳馬城(浜松城の前身)を訪れていること、江戸時代にも水野忠邦をはじめ浜松城主が幕閣に多数登用されたことなどの「出世の事例」が挙げられています。明治以降においても世界的企業が発祥し、その創業者たちが活躍しました。初の国産ピアノを製造したヤマハの山葉寅楠とカワイの河合小市、スズキの創業者の鈴木道雄、スズキを世界的企業に発展させた鈴木修(現会長)、ホンダの創業者の本田宗一郎などが挙げられ、まさに浜松は「出世の街」の名に相応しいといえるでしょう。
遠州の他の都市の特徴を考えてみますと、袋井市には、法多山、可睡斎、油山寺という「遠州三山」の名刹、日蓮上人のルーツの妙日寺、近現代に興った信仰の一大拠点が所在するなど、精神文化・信仰文化の拠点の街という側面があるように思います。掛川市は戦国大名としての今川家の終焉の地である一方で、二宮尊徳翁の教えを受け継ぐ大日本報徳社の本社が存在し、「報徳のまち」の名に相応しいと思います。
遠州の国府が所在し、国分寺が建てられた磐田市は、歴史・文化都市であるとともに、「起死回生」「一発逆転」の奇跡のストーリーを持つ街だと思います。まず挙げられるのは謡曲「舞車」です。京と鎌倉に離れ離れになった男女がお互いを求めて旅し、見付の祇園祭の舞車の神事で再会して結ばれるストーリーは、まさに起死回生・一発逆転の奇跡であり、恋愛成就(復縁成就?)のストーリーでもあります。「恋愛パワースポット」として人気の西光寺さんとともに、もっとアピールされてもよいと思います。室町時代には今川了俊公が南北朝統一に貢献し、日本分断の危機と北朝・幕府の危機を救いました。戦国時代においては、関ヶ原の戦いと大坂冬の陣・夏の陣という天下分け目の三つの戦いに際して、徳川家康公が中泉御殿で作戦を練りました。『磐南文化』第46号「中泉御殿という名のお城~未来の磐田への家康からの贈り物~」で冨田泰弘さんも書いていらっしゃるとおり、家康公の人生最大の戦の軍議が中泉で練られたことは注目に値します。関ヶ原の戦いでは、秀忠軍が遅参し、不利な布陣を強いられましたが、小早川秀秋の寝返りにより、家康公は「起死回生」、勝利しました。大坂の陣も決して楽な戦いだったわけではなく、真田幸村に本陣のあわやというところまで攻め込まれましたが、見事に危機を乗り切って勝利し、太平の世を築きました。
現代においては「緑十字機の不時着」が挙げられようかと思います。日本の降伏について協議するため派遣された軍使一行は、そのことを示す「緑十字機」に搭乗しました。帰途、不慮の燃料不足により機長は不時着を決意します。一歩間違えば、全員の命の保証もありませんでしたが、磐田市の鮫島沖に無事に不時着することができました。一刻も早く東京に戻らなければならない内外情勢でしたが、鮫島住民の献身的な協力により、飛行機の不時着というハプニングにもかかわらず、わずか8時間の遅れで東京に帰還することができました。軍使の帰還が遅れていたら、ソ連軍が北海道に侵攻したことも考えられましたし、厚木飛行隊の反乱が長引いて戦争が再開する危険性もありました。まさに日本の一大危機が、緑十字機が鮫島沖に無事に不時着したことと鮫島住民の協力によって、間一髪、避けられたのです。
他にも、今昔物語にある「仏舎利を握りしめた女の子の話」や「猛火の中で焼け残った西光寺の日限地蔵様の話」など奇跡のストーリーの枚挙に暇はありませんが、磐田の「起死回生・一発逆転」の力にあやかって、ジュビロ磐田もJ1リーグに返り咲いてほしいと思います。東京オリンピックで初めて競技種目となった卓球混合ダブルスに同じ城山中学校出身の水谷準選手と伊藤美誠選手が選ばれました。このこと自体も奇跡ですが、お二人の益々のご活躍を願ってやみません。読者の皆様も、磐田の起死回生のエネルギーにあやかって、現在のお仕事や挑戦中の事柄を成就されることを、ささやかながらお祈り申し上げます。
小山展弘