NEOぱんぷきん 2020年1月号 好きです「遠州」!「浜名湖最大の霊場、舘山と舘山寺」
新年、あけましておめでとうございます。令和に元号が変わってから初めてのお正月をいかがお過ごしでしょうか。
舘山寺周辺は、古来より景勝地として知られ、古くは西行法師が「舘山の岩帆の松の苔むした都なりせば君も来て見ゆ」と歌を詠み、修業・瞑想にふけったと言われています。「遠江古蹟図絵」には「舘山寺八景(舘山八景)」が記され、特に舘山寺周辺は「舘山の秋月」と言われ、月の名所として知られてきました。明治以降には、北原白秋や与謝野晶子もこの地を訪れ、和歌を残しています。昭和33年に温泉が掘削されてからは舘山寺温泉としても知られ、ホテルや旅館が立ち並び、遠州の奥座敷として、弁天島とともに県西部を代表する観光地となっています。
舘山寺の開山は弘法大師で、八一〇年に弘法大師がこの地を訪れ、舘山の石窟で三十七日間修業し、その際に開創したと伝わっています。その石窟は現存し、弘法大師の自作と言われる「穴大師」という石像を安置しています(眼病平癒に霊験あらかたとのこと)。お寺のご本尊様は「福一万願虚空蔵菩薩」様です。現在では曹洞宗に属していますが、創建当初から明治時代の廃仏毀釈までは真言宗のお寺でした。鎌倉期には源頼朝公が道中安全・武運長久を願って諸堂を寄進し、室町期には堀江城主の大沢氏の祈願寺となり、徳川家康公の保護も受けました。昭和10年には十六メートルの大観音像が建立され、最近では縁結地蔵尊が人気を博しています。舘山寺の西隣には愛宕神社様が鎮座しています。舘山寺に先立ち、727年に舘山一円を境内として、近郷七か村の氏神として鎮座したと伝えられています。
舘山寺の背後の舘山には、「富士見岩」や「西行岩」、「とさか岩」、「はなれ岩」など、巨岩・巨石が散在しています。愛宕神社様の「奥之院」は山中の磐座に鎮座しており、愛宕神社様の拝殿から拝むと、この磐座を遥拝するかたちになります。当初、古代人は、舘山に散在する巨岩・巨石を磐座として祀り、それが神社の創始だったのではないでしょうか。山中の看板には、舘山全体が信仰の地であると書かれたものがありますが、「舘山信仰」とでもいうべき自然崇拝があったように思います。現代風に言えば、巨岩・巨石を含め、舘山全体がパワースポット・霊験あらたかな地として崇められていたのではないかと推測します。
愛宕神社の「奥之院」とされる磐座近くには、役行者様の像が残されています。愛宕信仰は、明治以前においては、その多くが「愛宕勝軍地蔵」様をお祀りする神仏習合の信仰でした(奥之院という存在があること自体が仏教的です)。この舘山に愛宕神社があること、役行者の像があることからも、ここが修験道の行場だったことが推測されます。このような磐座が散在する霊験あらたかな地(現代風に言えばパワースポット)であったがゆえに、弘法大師や西行法師といった当代随一の僧が、この地で修業し、瞑想にふけり、また、多くの修験者・山伏たちもこの地を訪れ、修業したのではないかと推測されます。なお、舘山の山内には、いつの時代のものかわかりませんが、無数の石仏が祀られてもいます。舘山は、浜名湖畔最大の霊場といっても過言ではなく、このような霊場としての要素がもっとアピールされてもよいように思います(舘山寺に初詣に行かれてみてはいかがでしょうか)。
ところで、舘山は、もともとは陸続きではなくて、島だったようです。私は舘山に来るたびに、なんとなく神奈川県の江の島に似た雰囲気を感じます。江の島や竹生島、安芸の宮島には弁財天様が祀られ、「日本三大弁財天」と言われています(さらに奈良の天河大弁財天様と金華山の黄金山神社の弁財天様を加えて「五大弁財天」と呼ぶ場合もあるそうです)。舘山にも「弁財天の鏡面岩」に弁財天様がお祀りされていますが、ほとんど知られていません。弁天島の弁天様とともに舘山の弁天様にも注目し、近江の琵琶湖のように、遠江の浜名湖を弁財天霊場として認識すると、今までとは違った遠州の地域・観光振興のヒントがあるように思います。
小山展弘