「小山展弘の論跡」を新たに出版しました。book
「小山展弘の論跡―富国有徳の協同・共生社会を目指して―」は、小山展弘が政治活動を始めた2007年から2022年までに書いてきた後援会報「協同」や静岡3区総支部版党報への投稿を抜粋・編集し、1冊にまとめたものです。
推薦コメント
小山展弘は自らの考えを素直に、後援会報その他にせっせと書いてきている。周りの議員をみていると、いわゆる耳学問だけで喋り、質問に立っている者が圧倒的に多いが、彼は一味違う思索する政治家である。そのことは、今回まとめられた常日頃の「論跡」を読むとよくわかる。小山議員の質問も両院議員総会・懇談会等での党内の議論の場でも、他者と違い筋が一本通っている。
それだけではなく、なぜそうした質問をするのか、なぜそういう意見を言うのか、その背景が見えてくる。
第一章で政治家としての基本的価値観がわかってくる。一つの太い線として、協同組合、報徳思想、石橋湛山がある。
農協系統に勤務した経験から得たテーマである協同組合精神は、今のバラバラの社会に見直されるべきものであるとの強い主張がある。私と小山議員は、彼が一期生の頃から付き合いがあったが、私も石橋湛山に傾倒して『農的小日本主義の勧め』(創森社、一九九五年一月)という本まで出しており、こうした点で似通った考えを持っているからだろう。
それをもとにした野党としての振る舞いについての彼の主張が、第二章政党政治に明確化される。民主党・民進党と名を変え混迷が続き、立憲民主党としての野党の立ち位置について悩みつつも幅広い勢力の結集を呼び掛けている。そしてそれが第二部政策につながっていく。
多分彼のライフワークになるであろう協同組合がらみで「労働者協同組合法」の議員立法に中心的役割を果たしたことからわかる。また、農協改革について、官邸農政の下となった規制改革推進会議や国家戦略特区会議に、厳しい批判の目を向けている。 第5章農林水産政策では、お茶に関する小論が、彼の故郷、地元静岡への肩入れの証拠であり、思わず笑みがこぼれる。
農林中金勤務という現場の経験を背景にした協同組合政策、金融政策の主張が垣間見える。経済産業も地域政策にも、現場のことに常に目をやる小山議員らしいどこかほのぼのとした主張がみえる政治家小山展弘を知っていただくには格好の書である。
本書の執筆者の小山展弘さんは、早稲田大学政治経済学部政治学科在学中に二年間、私の指導する演習「国際政治と安全保障」のクラスに在籍し、また大学院政治学研究科に進学後、修士課程に二年間在籍して、合計四年間にわたって学問分野はもとより私的な生活にまで幅広く交流を続けてきた方です。
大学院時代における研究成果をまとめた『脱占領時代の対中政策』(志學社、二〇一二年)は、冷戦期の国交なき時代における制約された環境の中で、自立した中国政策を模索していた一九五〇年代の日本の姿を描いたものでした。第一次資料と第二次資料を巧みに読み込みながら、アメリカの世界戦略に追随せざるを得なかった時代背景を横軸にとり、鳩山一郎政権以降の保守政権の対中政策を縦軸にとってその限界点を描き出しました。
博士課程への進学や研究者としての道も薦めましたが、小山展弘さんは政治の現場で研究の成果を実践する道を選びました。本書は政治家・小山展弘さんの考えや政治姿勢を知ってもらうのに最適な書ですが、第一章「理念・ビジョン・姿勢」や第八章「経済・技術安全保障等」など、随所に大学・大学院時代に学んだことや研究の成果が現れています。また、「経済安全保障」についてあまり知られていなかった二〇一七年四月、小山展弘さんは、他党の国会議員とともに、いち早く超党派の「経済・技術安全保障を考える議員連盟」を立ち上げ、その事務局長として活躍するなど、理論や理想を実践するために行動してきました。
早稲田大学校歌には「現世を忘れぬ久遠の理想」という一節があります。学究生活で得た「現世を忘れぬ久遠の理想」を実現するべく行動する小山展弘さんの今後益々の活躍を期待します。
著者 小山展弘コメント
この本は、私の後援会報『協同』や静岡三区総支部版党報への投稿を抜粋・編集し、一冊にまとめたものです。
私は二〇〇七年に当時の民主党静岡県第三区総支部長に就任して以来、現在まで政治活動を続けてきました。二〇〇九年には政権交代が実現し、自身も衆議院議員選挙で当選することもできましたが、党内の混乱、東日本大震災の発生などもあり、二〇一二年には民主党は下野し、私自身も議席を失いました。二〇一四年に衆議院議員に復帰した後、民主党は当時の(旧)日本維新の会と合流し、民進党に名称変更しました。しかし、党勢は振るわず、二〇一七年には衆院選の直前に、衆議院議員や総支部長は、希望の党へ合流する方々、排除されたり、あるいは自主的に旧立憲民主党に参加された方々、無所属での立候補を強いられ民進党にとどまった方々(参議院議員も当初は民進党にとどまっていた)に党が分裂しました。私自身は無所属での出馬を経験しました。二〇一八年には希望の党の皆様が民進党に復党し(若干の入党者もいました)、旧国民民主党が誕生しました。二〇二〇年には、旧立憲民主党と旧国民民主党の合流構想が発表され、ようやく二〇一七年以来の分裂に終止符が打たれ、二大政党の一角を担う政党の誕生に期待しましたが、最終的には新立憲民主党と新国民民主党がそれぞれ誕生することになってしまいました。
私が政治活動をしてきた一五年間で政党は大きく変遷しましたが、この間、私が変わらずに訴え続けてきた理念や政策、政党政治のあり方もあります。これからも原点を忘れることなく、「報徳立国」「富国有徳の国づくり」「協同・共生、安心の共生社会の実現」などの「現世を忘れぬ久遠の理想」や協同組合の振興をブレずにまっすぐ訴え続け、勤労者の皆様の目線で政治活動に取り組んでまいりたいと思います。