NEOぱんぷきん 2019年10月号 好きです「遠州」!「室町時代の遠州の英雄 今川了俊 ② 今川状」
皆さんは「今川状」をご存知でしょうか?「今川状」とは、NEOぱんぷきん3月号でもご紹介した今川了俊公が九州探題在任中に、弟であり養子でもあった、遠江守護の今川仲秋にあてた指南書と言われています。そこには、現代風にいえば「リーダーはいかにあるべきか」とでもいうべき、国を治める心構えが説かれています。江戸時代には、寺子屋や学問所で、道徳の教科書や処世訓として読まれるとともに、寺子屋の書道のお手本書としても活用されました。一部の研究によれば、今川状の全文が了俊公の手によるものではないとのことですが、それでも、磐田に縁のある了俊公が書いた「今川状」が、全国の寺子屋や学問所での道徳教育に影響を与えたのであり、まさに「今川状」は、磐田が全国に誇る無形の歴史・文化遺産であると思います。また、今川家最高の知識人であった今川了俊公の文物は、駿河の今川文化や今川家の家風にも大きな影響を与え、その遺産は受け継がれたことと思います。今川義元、太原雪斎、徳川家康も、「今川状」や「難太平記」を読み、影響を受けたと思われます。紙面の関係で「今川状」全文をご紹介できませんが、以下に、吉田豊編訳「武家の家訓」内の今川状の現代語訳を参考に、私が気に入っている部分をご紹介します。
- 「学問の道に暗くては、武道、つまり、戦いにも結局は勝利することはできない」「ひたすらに心を砕き、文武の両道に励まねばならない」…「今川状」では文と武とどちらにも偏らない「文武両道」を繰り返し説いています。いかにも今川家らしい内容だと思います。
- 「我が身の財力を無視して、ぜいたくに過ぎ、あるいはみすぼらしい暮らしをすることを禁ずる」…みすぼらしい暮らしをも禁じるところに、分相応のバランスを説いています。
- 「道に外れた行いによって、富んだものを羨んではならない。正しい行いをしながら、恵まれぬ境界にある人を軽蔑してはならない」…勇気をいただく言葉です。
- 「自分一人の安穏を願って人に地位を与えず、引退させてしまうことを禁ずる」…ライバルを蹴落として、社会にとっての人材を失ってはいけない、と説いているように思います。
- 「武具や衣装について、自分だけが贅沢なものを用い、家来は見苦しくしておくことを禁ずる」…そのとおりだと思います。
- 「我が領国に関所を設け、往来する旅人を悩ませることを禁ずる」…商業や東西流通をおさえることで栄えた今川家らしい内容です。
- 「君主の心中を判断するには、その愛する者達を観察すれば知ることができる…自分より優れた者を友とし、自分より劣った者を好まぬが賢明な人の判断である。ただし、だからといって、厳しく人を選り好みしてはならない。これは悪友を愛するなという意味である。一国一郡を治める身はもちろんのこと、どのような立場でも、人々から慕われるようでなくては(衆人愛敬)、万事につき成功できない」…「今川状」の中で私が最も好きな一節です。「衆人愛敬」とは「人々から慕われる」という意味ですが、それは、人をえり好みして特定の人間を否定しないこと、全ての人を敬愛する姿勢を持つことと表裏一体であり、それを説いているように思います。そのことは次の一節からも窺えます。「およそ主君は、あたかも日月が一切の草木や国土を平等に照らすように、側近の家臣も外回りの家臣も、さらには遠く山野海上を隔てたところにいる家臣たちをも区別することなく、昼夜を問わず、慈悲の心をかけて賞罰に工夫を凝らし、それぞれの人材を生かして召し使わなければならない」。「国を治めるにあたっては、仁、義、礼、智のうち、一つでも欠けてはならないのである」。
「今川状」の内容は、文武両道のバランスを前提に、儒教的な徳地主義の考えや仏教的な慈悲や平等の教えをもとに、リーダーたる者に人格の成長・成熟を求めているように思います。中世の言葉で書かれていますが、会社や地域、家庭内の人間関係などに置き換えてみれば、現在を生きる私たちにも、何らかのヒントを与えてくれるかもしれません。
小山展弘