NEOぱんぷきん 2018年1月号 好きです「遠州」!「小笠山と山伏」

「小笠山と山伏」

明けましておめでとうございます。皆様、どのような新年をお迎えになられていますか。今年が皆様にとって素晴らしい一年となりますこと、心よりお祈り申し上げます。

10月号の連載開始以来、山伏・修験道特集のようになっていますが、今月号もどうぞお付き合いください。今日は小笠山のお話です。

11月第一日曜日に小笠神社の矢矧祭が行われます。小笠神社の創建は大宝年間に遡り、文武天皇が熊野三山に皇子の誕生を祈願したところ、聖武天皇がご生誕されたので、そのお礼に東国に熊野三山をお祀りすることとなったことが創始とされています。熊野本宮大社は三熊野神社、熊野新宮大社が高松神社、熊野那智大社が小笠神社に、それぞれのご分霊がお祀りされることとなりました。小笠神社から遠州灘を眺める景色は絶景ですが、どこか那智大社から熊野灘を眺める景色と似ているところがあり、また、海から神社までの距離、神社の標高も同じくらいの高さのように感じます。

この小笠神社、一時期、修験道場として開かれようとした歴史もあったようです。磐田市にある大乗院三仭坊は、かつて大乗院と三仭坊が一つの寺院になる前には、小笠山三仭坊と称しておりました。三仭坊の住職様によると、小笠山に修験道場を開こうとしたが、失敗し、磐田の地に移ったとの言い伝えもあるそうです。たしかに小笠山には笛吹きの太郎坊の伝説もあり、また、参道の大きな磐座には役行者の像もあり、修験道との縁は深いように感じます。また、住職様によると、江戸時代まで小笠神社境内に「空の御堂」が建っていて、そこに三仭坊大権現が鎮座していたのではないかとのことです。今でも社殿の東側にはスペースがありますが、こちらに「空の御堂」が建っていたかもしれません。加えて、小笠神社は里山伏が多くいた旧浅羽地区に社領を持っていたとのことですから、小笠山と遠州の山伏には深い関係があるように感じます。また、小笠山には高天神城攻めの際に徳川家康公が小笠山砦を築いており、家康公と三仭坊との関係も高天神城攻めにきっかけがあったのかもしれません。

小笠山山系を紀伊山地に見立てると、高野山にあたる位置に法多山、大峰山にあたる位置に小笠神社があります。熊野三山にあたる三熊野神社、高松神社、小笠神社も、小笠山山系の南側に位置します。古代・中世の先人たちは、小笠山山系に、紀伊山地や果無山脈を模した霊場・修行場を創ろうとしたのかもしれません。

小山展弘